2021の私
まだ生きている。
世間では疫病が起きたりといろいろあるようだがフーテンを続けている。できてあと数年程度ではないか もっと短く1年ぐらいだと思っている。
今年を振り返ろうと思って筆を取ったがやめた。
絵のこと
絵は着実に上達はしている。自分にはジャンルも、質と量も、作品もないということに気が付いてずっともやもやしている。みんな好きなものが1つずっとあって、それを伸ばしてすごい。自分はあっちにフラフラこっちにフラフラ、子供の頃からそうだったが気する。気がするだけと思いたい。慣れれば一通りのことができるガキだった、そう自覚している。
依頼もしない、アタリも書けん、模写もせん、かっこいい絵もエロい絵もかわいい絵も自分にはまだまだ先になってる。
これからどうするかわからん。仕事にもなるのかわからん。知り合いに頼まれた絵で4000円だ。それが4日以上かかる。ならんな。ファンボックスも更新をやらない。なんでだろう、金額を変えて支援者が全員抜けて萎えたのか?
心の余裕がないのは金がないからである、そんなことを考えながら無職で住所不定でフーテンが絵を描いている。外的要因に流され、数日絵を描かないと上達していたものが元に戻り、教えられたことが守れない。退屈で緩やかな心の死だなぁとも思ってしまう。この死に方なら怖くないね。
死すべきか、生きるべきか、それが問題だ。
趣味のこと
趣味になると心が軽くなる。これは逃避だ。今年から以前やっていたカードゲームをまたやりはじめた。イライラしたり笑ったり感情を出せるのは趣味と趣味で関わってきた他人のおかげなんだろう、そう思う。感謝したい。こうやって自分の中を文に示さなくなって、自分がブレなくはなった。狂暴性を外に出すせいで新しいものを求めなくなったからか?
読書と映画、アニメなど創作物の摂取は続けている。根底にある凝り固まったものがあまり溶けないからこの摂取無意味なのでは、そう思ったら負けである。何に負けるかは知らないけど。
他人のこと
自分より年齢が下の人と話す機会が増えた。インターネットの層が変わったんだなと思うことが増えた。老いなのか、劣化なのかわからない。
死んだ人間や断絶した人間も増えた。死んだ人間は仕方ない、安らかに眠って夜中思い出させないでくれ。後者は後悔だけが残る。そんだけ
新しい人間関係、他人への興味が衰えたからか。そ.れともリソース不足か、それとも、数年前まで向こう見ずだっただけか。
この人でイラっとする指摘しよう、この人のこの行為はすごい会いたい、気になる話しかけてみよう、などそういった感情を表に出すことが減った。
心の弾丸の数が減った。そう思っている。数年前まで装填数も弾数も余裕があった。失敗や恥、後悔によって摩耗するにつれて減っていった。あの頃の弾に戻りたいと思ってもどこかで「お前がやってることって寒いよ」「自分をリソースとして将来的に終わるよ」「会ったって恨まれるだけだよ」と乖離的な自分が現れてそう心にささやいてくる。刺激が欲しいんだと思う。刺激には大切なリソースを使ってしまう。時間、誰かへの愛、それなりの覚悟etcetc
メンヘラブログになってしまった。楽しいことや面白いことは一瞬だ。
1日1回オナニーして、ネットに書き込んで、ゲームやって、絵を描く
このサイクルが幸せだと思える人生でよかった。ただ液タブの替えのケーブルが届かねー!クッソイライラしてる、描きかけの絵がある!
おわり!